ドラマティカルな展開が
そうそう日常に落ちているはずなんて無くて
すい、と伸ばした指先は
何も触れずに空を切る。
始めなければ始まらないし
思い悩んでいるばかりでは一歩だって動けない。
海岸線を犬が走る。
久しぶりに訪れた朝の海は
変わらず何も答えてくれない。
どこからか打ち上げられた流木を犬が駆け足で越えていく。
海は青く、波が何度も寄せては返す。
ただ静かに。何も無かったかのように。
まず、何でもない毎日を
大切に思うことから始めよう。
今日という日が再び巡り来る事なんてないのだから。
去りゆくものを惜しむより
今の時間を抱き締めよう。
どうしたって僕たちは不器用にしか生きられないのだから。
「・・・そうだね」
少し伸びた襟足を細い指がくすぐったく通って
うっすら積もった鬱蒼を軽やかにはらってくれる。
君の指は魔法の指
そんな何気ない仕草で
僕の心を上向けるのだ。
そして
きっと僕はこれからも
そんな君に恋をしていくのだろう
変わらずに、ずっと。
君のためにいったい何ができるのか
どれだけ時間を過ごしてきても答えは出ないのだけれど
何時だって僕の視線は君を求めてる。
例えば恋、だとか 愛、だとか
そんな言葉で簡単に括れるような感情では
おそらくきっとないのだろう。
さり気なく、それでも当たり前の存在として
確かに間違いなく傍らに在るもの。
そう、きっと
穏やかな日差しのように
前髪を掠める時折の風のように
やわらかに注ぐ月の光のように
僕の中に静かにしずかに積もってきて、
またこれからも緩やかに重ねていくのだろう。
想う気持ちはその時により色を変え、形を変えて
ゆっくりと育ってきて。
僅かな微笑みや、微かな指先のぬくもりが
僕に前を向かせてくれる。
ふと注がれる眼差しが
こころに熱を撒いていく。
昨日よりも今日、今日よりもきっと明日。
想いはきっと、深くなる。
誰かを想い、想われるということは
勿論とても大切なことであるのと同時に
真剣な想いであるからこそ、ひどく重くあるのが当たり前で
それが苦しいと感じる時も確かにある。
けれどもそんな気持ちを抱くことができる、
それはやはりきっと、ものすごく大切なこと。
『ね』
やわらかく紡がれる声と零れる穏やかな微笑みに
僕は何を返せるのだろうか。
君がそこに居てくれる、
それだけで僕は幸せな気持ちになるのだ。
何気ない風景の中に生まれるさりげない幸せ
大切なひとがいるという奇跡
いつだって守りたいと思うけれど
結局は君の大きな優しさに包み込まれているような
そんな穏やかな時間
君の存在だけが勿論僕の人生の全てでは無いけれど
もしも君がいなければきっと僕の時間は動かない。
でもそれが、依存、であるのかと考えれば
そういったものとは少し違うのだろう。
僕が僕でいるからこそ
僕は君に惹かれ続けるのかも知れない。
仕事帰りの小径の端で、密やかに咲く花を見つけたり、
ふと立ち寄った小さな書店の並びが思いのほか好みにぴったりはまっていたり
そんなどうでも良いようなことすら
君に伝えたくなる。
季節の変わりを知らせる空の色を見た時に、
不意に聞こえた小さな音色に遠く懐かしさを感じた折に
君はなんと言うだろうかと考える僕がいる。
「うん」
そしてそれを笑わずに
そう、こうしてカップを傾けながら、
小さなテーブルの向こうから優しい視線と微笑みが僕に注ぐ時、
僕は堪らなく暖かな気分になる。
些細なそんな事の積み重ね
それがどんどん大きくなって
今、ゆっくりと、確かに
僕は日々を過ごしている。
触れあう指先の向こうに繋がるものは何なのか
まだはっきりとは分からないけれど。
君がいて、僕がいて
緩やかに、穏やかに季節が巡る。
「ん?」
君の声が聞こえた気がして顔を上げれば
溜息混じりの、それでも穏やかな微笑み。
本当は君のことを考えていたんだ
なんて絶対に言えはしないけれど。
考えて、いたのだ。
君が此処にいるということ
僕が此処にいるということ。
あなたがいてくれるから、と君はいつか言ってくれたけど
君の存在に救われているのは 僕の方だ。
依存、というのとは違うと思うし
きっと君がいなくても僕は毎日を送って行けるのだろう。
でもきっと
そんな世界には色も無い。
季節も、香りも、音も。
みんな君が届けてくれているのだ。
だから、言ってしまえば
僕の世界の大半は、重要な根底のところで
少なからず君の存在で構成されてしまっているのだ。
そう、そんなこともあったよねと
思えることだってあるかもしれない。
いつだって前を向いて進まなくてはいけない、
そんなことなんてない。
立ち止まることだって大切だし、
後ろを向く時間だってもちろん必要だと思う。
自分を奮い立たせて、無理をしなくてはならないことだって
いくらでもあるし、
なにもすることが出来なくなる時だって
数えられないほどに多い。
君と僕は当たり前だけれど違う人間で
どれだけ時間を重ねて来ても
考え方も、感情の動きも
完全に重なるわけではないから
簡単に、君の背中を押してあげることは僕には出来ない。
でも
こうして並んで一緒に風を受けることならいつでも出来るから。
ねえ、
僕は君とずっと同じ景色を見ていたいと思うんだ。